「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。しかし、みおしえを守る者は幸いである。」(29:18)
「幻」と訳された単語が預言者が見る「幻」に用いられる単語なので、「預言的な幻」と訳されることがあります。それで、「神の啓示」、すなわち聖書の御言葉なしでは暴走すると言う意味と理解します。それで「しかし、みおしえを守る者は幸いである。」と続きます。メッセージ訳では前半部分をこう訳します。「もし、人々が神のなされていることを見ることができないならば、彼らはそこらじゅうでつまずく。」私たちは神の御言葉、神の御業に焦点を合わせる必要があります。神のみこころを求めないならば人は好き勝手にふるまい、結局、つまずき倒れてしまいます。使徒パウロは言いました。「私は天からの幻に背かず、…宣べ伝えてきました。」(使徒26:19,20)天からの幻、聖書の御言葉に生きることができますように。