「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」(8節)
英語の訳では、
「味わい、見つめよう、主が善い(グッド)ということを」
と訳しています。神様を味わうという表現は面白い表現です。まさに、神様は観念的な世界の話ではなく、体験的な世界と言うことだと思います。哲学的に神学を勉強するだけではなく、実際に神様を味わうことがなければ、本当の意味で神様を知ることができないということだと思います。つまり、膝を屈めて祈ることを通して、神様ご自身を味わう必要があるということです。礼拝者として神様に共に礼拝を捧げることを通して、神様のすばらしさを見る必要があるということです。味わうためには、口を開ける必要があります。見るためには、目を開ける必要があります。神様が善いお方、素晴らしいお方だということを知りたいのであれば、信仰によって神を味わう必要があります。