「宴会の時刻になったのでしもべを遣わし、招いていた人たちに、『さあ、おいでください。もう用意ができましたから』と言った。」(14:17)
毎週の主日礼拝は、ある意味で、キリストの宴会に招かれているようなものです。
私たちは、招待客との交わりも楽しみますが、何よりも招待者の臨在を楽しみます。
しかし、この箇所にもありますように、招待に応じるかどうかは一人一人に委ねられています。
自分の都合を優先すれば、他の人が体験しても、自分はその機会を失ってしまいます。
神は恵みに溢れていますが、神の招きに応じずに祝福だけを求めても体験することはできません。
神は招きに応じなかった人を無理強いするのではなく、
「急いで町の大通りや路地に出て行って、」(21節)
へりくだらされ、必要を感じている人たちを招くように主のしもべに命じています。
私たちは、主日礼拝に人々を招く使命があります。
主はすべての人を招待しています。