「だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」(15:32)
放蕩し帰ってきた弟のために祝宴を設けた父に対して兄は言いました。
「遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。」
兄は弟とは呼びませんでした。
それに対して父は「おまえの弟は」と正されます。
「何を言っている。わたしの息子であると同時に、おまえの兄弟ではないか!」
長男は次男を除外しようとしましたが、父はもう一度、次男を長男に受け入れるように和解を勧めます。
ある学者(フィー)はこう言います。
「父および失われた息子と喜びを共有しないなら、自分を正しいと考えている人は自分が正しくないことを明らかにしているのです。」
父なる神が受け入れた人を、神の民は喜んで受け入れるものだと言うことです。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。