「いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。」(18:1)
聖書は明確に、絶えず祈り、祈ることをやめてはいけないことを教えています。
神は私たちの祈りを聞き、私たちの祈りを用いられるお方だからです。
裁判官とやもめのたとえ話は、たとえ話のゆえに大袈裟に描かれています。
裁判官の道徳的な問題に引っかかってはいけません。
たとえはたとえでしかないからです。
大事なポイントはやもめのようにあきらめないことです。
イエス様は言われました。
「ただ問題は、メシヤのわたしが帰って来る時、いったいどれだけの人が信仰を持って祈り続けているかです。」(8節LB)
私たちはこの世の常識に打ち負かされて、神への期待を失い、祈ることをあきらめていないでしょうか。
今は恐れの時ではありません。
信仰の時です。
いつも喜び、絶えず祈り、全てのことを感謝しましょう!