「するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。」(8:31)
エチオピア人の女王カンダケに仕えていた宦官が、礼拝のためにエルサレムに上ってきたと言う意味は、彼がユダヤ教に改宗していたと言うことです。
彼の熱心さは、その帰りにイザヤ書53章を音読していたことからも伺い知ることができます。
しかし、彼は文字が読めても、その語る意味を理解することができませんでした。
なぜなら、
「ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。」(8:35)
とあるように、聖書はイエス・キリストの福音を知らなければ理解できないからです。
しかし、聞いたことのない方を、どのようにして信じるでしょうか。
宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くでしょうか。
信仰は聞くことから始まります。
私たちは伝え続ける必要があります。