「彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(9:5)
キリスト者になる前のパウロ(サウロ)は、キリスト教徒を迫害していました。
ダマスコにある教会を迫害しに行く道の途中、イエス様が現れました。
「あなたはどなたですか」
と尋ねると、
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
と答えられました。
パウロが迫害していたのは教会であり、キリスト教徒でした。
しかし、イエス様はご自身を教会と同一視されました。
教会を迫害するのは、イエス様を迫害するのと同じだと。
教会は不完全な人間の集まりですから、問題がないわけではありません。
しかし、イエス様はそんな欠けだらけの教会を、ご自分と同一視されたのです。
ですから、教会を軽視することは、イエス様を軽視することと同じです。
目に見える教会を愛することが出来なければ、目に見えない神を愛することはできません。