「しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。」(3:21)
「律法とは関わりなく」とは、別に旧約聖書の「律法」がどうでもいいと言う話ではありません。
「律法」は2節にあるようにユダヤ人に与えられた契約のしるしでした。
しかし、「ユダヤ人の王」として十字架に架かられたイエス・キリストは「律法」を成就したので、今、ユダヤ人でなくても、誰でもイエス・キリストを信じるだけで「正しいとされる」(義認)のです。
裁判官が裁きの座から降りて来て、法衣を脱ぎ、私たちの代わりに罪の報酬である死を受けてくださいました。
正義は執行され、私たちは自由にされました。
ですから今、「どんな人間であろうと、私たちは皆、キリストを信じるという、この方法によって救われるのです。」(22節LB)