「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。」(5、6節)
使徒パウロと聞くと、私たちとは違う屈強なスーパー・クリスチャンをイメージします。しかし、使徒パウロもまた、私たちと何も変わらない普通の人でした。彼もまた不安を感じ、恐れを感じ、落ち込みました。しかし、彼は「意気消沈している者を励ましてくださる神」(LB)に励まされたのです。パウロはテトスが来たことによって励まされるのですが、神様はそのようにして励ましたのです。今日も同じように、神様は何かを通して私たちを励ましてくださいます。「神様だけが、今は恥じてうなだれている私の頭を、高く持ち上げてくださるお方です。」(詩3:3LB)