「私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。」(6:8)
水のバプテスマ(洗礼)が意味していることは、キリストと共に死に、キリストと共に生きることです。
「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。」(5節)
キリストの罪に打ち勝つ死と一つになっているならば、いのちを与える復活とも同じようになります。
ですから、私たちはこのように考える必要があります。
「キリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者」(11節)
私たちは
罪に対して「NO」と言い、
神に対して「YES」と言う者です。