「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。」(7:24,25)
この7章はパウロが救われる前の話か、後の話か議論が繰り返されてきました。
しかし、「私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、実行できないからです。」(18節)と言う表現は、改心前、改心後であってもパウロ書簡から読み取ることができない内容です。
それでこれは、パウロの内面的な葛藤ではなく、「私」は旧約聖書に見られるイスラエルの姿ではないかと言われます。
律法が悪いわけではなく、律法が罪を規定し、死をもたらしたと言うのが旧約聖書です。
しかし、神に感謝します。
キリスト・イエスにあるいのちを与える御霊の律法、新しい契約が与えられたからです。