「だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか。」(11:35)
この箇所は、ヨブ記41:11の引用だと言われています。
「だれが、まずわたしに与えたというのか。わたしがそれに報いなければならないほどに。天の下にあるものはみな、わたしのものだ。」
パウロがこの箇所を引用した理由は、明らかに、神の救いの計画というのは、神の人類に対する義務ではないということです。
神からその報いとして何かを受けるほど、神に先に何かを捧げることは人にはできません。
神が負債を負うほど、人は神に何かを捧げることはできないのです。
神の富の深さも、神の知恵の深さも、神の知識の深さも、すべては、神の恵みの世界なのです。
神に対して、人が返せるものは、神に対する感謝だけです。
神に賛美を捧げ、栄光を捧げるだけです。
「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(36節)
※ 明日のSSCの主日礼拝は、三密にならないよう、第一礼拝と第二礼拝に分散しての出席をお願いしています。事前連絡をお願いします。第二礼拝はライブ配信も行います。明日は母の日です。(18時からの第三礼拝は自粛中です。)