1コリント 1章

「知恵ある者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の論客はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。」(1:20-21)

新約聖書はギリシア語で書かれました。

当時の地中海世界ではギリシア語が公用語であり、ギリシア哲学を初めとする、人間を讃える文明がそこにありました。

しかし、人は人であり、神は神です。

人が神を作ったのではなく、神が人を造られました。

ですから、人が神を完全に理解することはできません。

人は神の啓示、聖書が必要です。

聖書のメッセージの中心は十字架にかかられたイエス・キリストです。

神が人となって、私たちの罪のために十字架にかかられると言うメッセージは人間が創作できる範囲を超えています。

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