「そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。」(2:4)
パウロは哲学の中心地、アテネで人々を説得しようとして思うような結果を得ることができず、打ちひしがれてコリントに行きました。
「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(3節)
打ち砕かれたパウロの宣教活動を通してコリントの教会が生まれました。
パウロは自分の力ではなく、神の力ということが痛いほどわかっていたのだと思います。
私たちは、思います。
こんな弱い自分に、欠点だらけの自分に何ができるのだろうか?と。
しかし、弱いからこそ、欠点だらけだからこそ、自分ではない、神の力だということが現されると言うのです。
「それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。」(5節)
私たちの信仰は、神の力に支えられる信仰です。