「私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。」(4:4)
聖書は明確に、人は一度死ぬことと、死後に裁きを受ける事が定まっていると言います。(ヘブル9:27)
死んだら終わりではなく、死んだ後に、最後の審判があります。
大事なことは、最後に裁くのは自分ではなく、主なる神であるということです。
ですから、パウロは言います。
「ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。」(5節)
聖書がはっきり約束していることは、イエス・キリストが再び来られること、そして、すべてを裁かれることです。
私たちが知る由もないことも、神はすべてをご存じです。
ですから、裁く役割は主にお委ねし、愛する役割に生きましょう。