「私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。」(2節)
私たちの心が求めているのは、生ける神様です。生ける神様との関係によってでしか満たされない渇きが、すべての人の内にあります。ですから詩人は歌いました。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」(1節)
詩人が伝えたいのは、新鮮な水でなければ満足できないということです。昔の体験、誰かの体験で満足することはできません。私たちは今、自分自身で神様との時間をもつ必要があります。イエス・キリストは過去の偉人というだけではなく、今、生きておられ、私たちは今、御前に出て行くことができます。イエス様は言われました。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)
「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。」(ヨハネ4:14)