「しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。」(7:6)
使徒パウロは、
「マケドニアに着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、あらゆることで苦しんでいました。外には戦いが、内には恐れがありました。」(5節)
と言います。
使徒パウロのような霊的巨人のような人でも意気消沈してしまうことがあると言います。
その悩みの種の一つがコリントの教会に送った手紙のことでした。
それはコリントの教会を悲しませるような厳しい手紙でした。
結果的にパウロはこう言います。
「神様は時々、罪を断ち切り、永遠のいのちを求めさせるために、私たちに悲しみを与えます。そのような悲しみを嘆いてはなりません。しかし、この世の人の悲しみは、真の悔い改めに導く悲しみではないので、永遠の死を食い止める力がありません。」(10節LB)
マイナスは必ずプラスになります。
神は「気落ちした者を慰めてくださる神」です。