「私は命令として言っているのではありません。ただ、他の人々の熱心さを伝えることで、あなたがたの愛が本物であることを確かめようとしているのです。」(8:8)
8章は献金について記されています。
献金は命令ではなく、あくまでも自発的に捧げるものです。
ここでパウロはマケドニアの教会の熱心さ、経済的に厳しい中にあっても神の働きのために捧げた例を挙げています。
マケドニアの教会の例を伝えた理由は、コリントの教会の人の愛を確かめるため、刺激するためだと言います。
もちろんそれはキリストに対する愛です。
「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(8:9)
キリストの愛に応えることができますように。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。