「人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うことになるのです。」(6:5)
「重荷」と訳された単語は、兵士が行進の時にかつぐ「リュックサック」などに用いられる単語です。
人にはおのおの負うべき「リュックサック」があると言います。
ともすると、自分だけがこの「リュックサック」を背負っている気がしてしまうことがあると思います。
しかし、心配しなくても、一人一人に神がちょうど良い重さの「リュックサック」を与えていると聖書は言います。
しかし、現実を見ると、ひとりでは負いきれないような重荷があるように見えます。
このような大荷物、重くて負担になる「重荷」を5節とは違う単語で2節で次のように使用しています。
「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」
互いに祈り合い、励まし合い、具体的に助け合うことを通して、キリストの律法を成就するために、そのような重荷があることを心に留める必要があります。