「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。」(2:19,20)
テサロニケのキリスト者は迫害の中にありました。
パウロは、彼らの受けている苦難をキリスト者のしるしのように言います。
「兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちに苦しめられたように、あなたがたも自分の同胞に苦しめられたからです。」(14節)
パウロは、人々から拒絶され、辱められていた彼らに、どんなに彼らの存在が自分にとっての喜びであり、誇りなのかを伝えます。
時として、神にとってだけでなく、他のキリスト者にとっても、自分が喜びであり、誇りであるということを知る必要があります。