「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(3:20)
キリスト教は宗教ではなく関係であると言われます。
食事を共にするというのは、親しい交わりを意味しています。
生ける神、世の光、キリストは、私たちとの親しい交わりを望んでいますし、私たちも必要としています。
賛美を捧げる中で、祈り、聖書を読み、キリストのからだである教会の交わりを通して、日々、キリストとの関係を築き、私たちは満たされ、養われ、導かれ、成長していきます。
しかし、このキリストとの関係が失われるならば、この3章に出てくるラオデキヤの教会のように生ぬるい状態になってしまいます。
キリストは、私たちの心のドアをノックされます。
心の扉を開けて、キリストを日々歓迎しましょう。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。