「まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」(10:42)
弟子たちを受け入れることは、派遣したイエス様を受け入れることだと言います。
そして、イエス様を受け入れることは、イエス様を派遣した父なる神を受け入れることだと言われます。
派遣された人を受け入れることは、派遣した人を受け入れているのと同じだということです。
それで、最後の審判において、宣教の働きに協力した人が報いから漏れることは断じてないと言われます。
宣教の働きは、イエス様の宣教の継続であり、教会が果たさなければならない務めだからです。