「自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。」(20:15)
ぶどう園の日雇い労働者のたとえのポイントは、私たちが業績思想という人間的見方に縛られて、神の主権までも犯そうとしていないかというところにあります。
ぶどう園の主人は、朝早く、九時、十二時、三時、五時と労働者を雇いますが、それぞれ一日一デナリ(一日分の労賃)で契約します。
主人は最後に来た人から労賃を支払うのですが、労働時間に応じてではなく、契約通り、賃金を支払います。
朝早くから働いていた人たちはもっと多くもらえると期待していたので、不平を言います。
すると、ぶどう園の主人は、
「それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。」
と問います。
人は、自分の業績ではなく、神の驚くばかりの恵みによって救われます。