「かわいそうに、この群衆はすでに三日間わたしとともにいて、食べる物を持っていないのです。」(8:2)
今日の箇所で、イエスは群衆が食べるものがないことに同情してこう言います。
「この群衆に対して、私は腸のちぎれる想いがする。」(岩波訳)
イエスは、私たちが様々な問題に直面している姿を見て、「腸のちぎれる想いがする」と言われるお方です。
イエスは私たち一人一人のことを、心にかけていてくださいます。
三日間、教え続けただけでなく、その後、人々の具体的な必要を満たされました。
極端な人は「「食べ物」なんて、この世的なものは、どうでもいい」と言います。
しかし、イエスが主の祈りの中で
「私たちの日ごとの糧(必要な糧)を、今日もお与えください。」(マタイ6:11)と祈るように教えられたように、イエスは私たちの日常の必要も気にかけておられます。
「群衆は食べて満腹した。」(8節)とあるように、必要を全て満たしてくださいます。(ピリピ4:19参照)