「わざわいだ、律法の専門家たち。おまえたちは知識の鍵を取り上げて、自分は入らず、入ろうとする人々を妨げたのだ。」(11:52)
パリサイ人や律法の専門家たちの問題は何だったのでしょうか。
彼らは道徳的で、模範的で、勉強熱心な人たちでした。
しかし、裁きの態度で人々と関わり続けました。
ヘンリ・ナーウェンという神学者がこんなことを言っています。
「裁いたり、非難したり、評価したり、等級をつけたり、レッテルを貼ったり、このようなことのために私たちはこの世に遣わされたのではありません。人々についてこうだと決めてかかり、人に、どこが間違っていて、どう変えるべきかを教えなければならない、といった態度で何かをしようとするなら、私たちはさらに人々の間を引き裂くだけです。」
使徒パウロは「知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます」(1コリント8:1)と言います。
私たちは「知らない」ということを謙遜に認め、愛に生きることです。