「ある安息日のこと、イエスは食事をするために、パリサイ派のある指導者の家に入られた。そのとき人々はじっとイエスを見つめていた。」(14:1)
人々は「じっとイエスを見つめていた」と言います。
問題は目を皿のようにして見ていた動機の部分です。
その動機の部分を明らかにしたのがイエス様の言葉です。
「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」(3節)
パリサイ人や律法の専門家たちにとっては、病気が癒されることより、律法を守るかどうかの方が重要だったと言うことです。
自分たちの律法理解の枠組みの中にイエス様を収めようと試みたのです。
私たちも信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さないように気をつける必要があります。
しかし、自分の枠組みの中にイエス様を収めるためではなく、私たちの枠組みを広げるためにじっと見つめ続ける必要があります。
今日は主の日。共に主なる神に礼拝を捧げましょう。