「まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。」(18:7)
この裁判官とやもめのたとえ話は、たとえ話のゆえに大袈裟に描かれています。
裁判官の道徳的な問題に引っかかってはいけません。
たとえはたとえでしかないからです。
やもめは当時、もっともないがしろにされていた人たちです。
「まして神は」とあるように、不正な裁判官とは比べられない義なる神が、私たちの祈りをいつまでも放っておかれることはないと言うことです。
ですから、どんなにないがしろにされてもあきらめずに訴え続けたやもめのように、「いつでも祈るべきで、失望してはいけない」のです。
神は私たちの祈りを聞かれるお方です。
私たちの小さな祈りを用いて、大いなる御業を行われるお方です。