「主は私の切なる願いを聞き主は私の祈りを受け入れられる。」(6:9)
スポルジョンという牧師は「涙は、液体の祈りで解釈はいらない」と言います。
感情的というのは、よく、問題視されることがあります。
しかし、涙の祈りはイエス様もなされた聖書的な方法です。
「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」(ヘブル5:7)
前向き、信仰的、肯定的なことばが大事だとわかっていても、つい、弱気な、否定的な言葉が口から出てきてしまう時があると思います。
しかし、この詩人のように、最後には、信仰の告白をもって閉じるのが大事だと思います。
LBではこう訳しています。
「訴えも聞き届けられた。主は私の祈りにすべて答えてくださる。」