「ある者は戦車を、ある者は馬を求める。しかし私たちは、私たちの神、主の御名を呼び求める。」(20:7)
新改訳三版までは「誇る」という動詞が補われてきましたが、動詞は末尾の「唱える」だけです。
「確信を持つ、頼る」とも意訳できます。
「主の御名」は、神のご性質を示します。
「主の御名」を「呼び求める」、「頼る」ということは、神を「いと高き神、ご覧になる神、全能の神、義なる主、勝利の主、ここにおられる主、癒し主、羊飼いなる主、備え主、聖め主、万軍の主、平和の主」と、確信することです。
困難な時、どうして私たちは神よりも人からの助けを期待し、思うような助けを得られないと苛立つのでしょうか。
祈って神の導きを待ち望むよりも、人の助言に走ってしまうのでしょうか。
神がどういうお方であるか、確信する必要があるのではないでしょうか。
「主の名は堅固なやぐら。正しい人はその中に駆け込み、保護される。」(箴言18:10)