「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめよう。』と、いつも言いますように。」(4節)
「神を慕い求める」という姿勢は、そもそも聖霊なる神様がその人の内におられる証拠でもあります。使徒パウロもこう言っています。
「それを自分のものにしようとして追い求めている。それは、すでに私がキリスト・イエスにしっかり捕まえられているから出来るのである」(ピリピ3:12現代訳)
パウロがここで大事にしているのは追求心で、クリスチャンというのは、常に神を慕い求めるという飢え渇きがある者ということです。神を慕い求めていく中で、主にある楽しみ、喜びを、体験して欲しいというのが、ダビデだけではなく、神様ご自身が願っていることです。
「あなたの救いを喜ぶ者には、『なんとすばらしい神様でしょう!』と叫ばせてください。」(LB)
神様に対する飢え乾きがあるならば、「なんと素晴らしい神様でしょう!」と叫ぶ日は必ず来ます。