「神なる主よ。私は、あなたの大能のわざを携えて行き、あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。」(16節)
「神なる主」と訳された言葉は「主なるヤハウェ」。神の名前が用いられています。この節の全体を直訳しますと、
「主なるヤハウェの力の中に入っていき、あなたの義を覚える。あなたのだけ。」
となります。詩人は、神の偉大な御業を覚えて、ただ、神の義のゆえに、祈りの中に入って行きました。私たちが受け入れられるのはイエス・キリストの中にある神の義だけです。ですから、イエス・キリストだけを見上げなければ、祈りの中に入ることは困難です。また、神の力ある御業を覚えることが、私たちを祈りの中に導きます。神の力ある御業を語ることも大切です。
「何度、神様が、危ない目から助けてくださったか、数えきれないくらいです。会う人ごとに、神様の恵み深さと、日々とぎれることのない思いやりとを告げましょう。」(15節LB)