「神を忘れる者どもよ、さあ、このことをよくわきまえよ。」(50:22)
詩篇50篇は、天地を証人とする主なる神の法廷です。
「神は完全に公正な裁判官となって、判決を下されます。天も、神の正しさを証言します。」(6節LB)。
イスラエルの民の問題はいけにえではありません。
「わたしが求めているのは、真心からの感謝、わたしへの誓いを果たすことである。苦難のとき、わたしを頼みとしてほしい。そうすれば、わたしは助けの手を差し伸べ、あなたがたはわたしをほめたたえるだろう。」(14,15節LB)
16節から具体的な罪状が挙げられますが、問題の根底にあることは、神が
「わたしがおまえと等しい者だとおまえは思っていたのだ。」(21節)
と指摘している点です。
人は神と等しくはありません。
人が神になることはありません。
「神を忘れた」ことが人の罪です。
「私を喜ばせる人生とは、恵みに感謝し、常にわたしと共に正しい道を歩むことを選ぶ生き方だ。」(23節TPT)