戦争が始まってしまいました。
いのちを物のように扱い、攻撃の命令を下す為政者の姿にサタンの高笑いが聞こえてくるようです。
今回のロシアによる軍事行動は、突然「戦争」がすぐそばに迫ってきたような恐ろしさを感じた人も多いと思います。
どうなれば終わりなのか、そもそも終わるのか、世界はこれからどうなっていくのか、、、新型コロナで疲弊した心に、この出来事はさらなる痛みと失望を私たちにもたらしました。
「私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる(二コリント5:10)」のです。
地上でどんな特権階級にいようと関係ありません。いつの日かわたしたちは一人残らず主の前に立ちます。
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けばその刈り取りもすることになります。(ガラテヤ6:7)」
裁くのは主であり私たちではありません。
私たちには破れ口に立って祈るという役割があります。
ウクライナの平和のために。
(小山晶子牧師夫人)