「万軍の神。主よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ。耳を傾けてください。」(84:8)
主の大庭にいる一日は、この世の千日にまさると詩人は言います。
主の大庭とは、主のおられるところ、主の臨在、主のリビングルーム、「主を礼拝するところ」(MSG)です。
それは、「ギリシャの島々のビーチで過ごす千日にまさる」(MSG)と。
私たちはどうでしょうか。
主を礼拝している時、共に主に祈る時、リゾート地で過ごすときよりもはるかにすばらしい時を過ごしているという感覚をもっているでしょうか。
「そのような人にとっては、涙の谷も、祝福のわき出る泉となるでしょう。」(6節LB)と詩人は言います。
8節の祈りは唐突な感じがしますが、祈りこそが主の大庭にいる秘訣であることを知っているならば不思議ではありません。
「なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり、心の中に、シオンへの大路のある人は。」(5節)