「私は祈るばかりです。」(109:4)
ダビデの体験は昔も今も変わりません。
「彼らは、善に代えて悪を、愛に代えて憎しみを、私に返しました。」(5節)
残念ながら、
「彼らは、憎しみのことばで私を取り囲み、ゆえもなく私に挑んできます。」(3節)
ということがあります。
ダビデの言葉はあまりにも激しくて、どう解釈していいか悩みます。
しかし、このような激しい言葉を口に出して読むことを通して、私たちの心は取り扱われます。
もちろん、イエス様は言われました。
「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)
だからと言ってこのような詩篇の言葉を口にすることはそれに反することではありません。
私たちの感情は取り扱われる必要があるからです。
これらの詩篇を読むことを通して、ダビデと同じように、私たちは言います。
「私は祈るばかりです。」
祈りに導かれることはすべて良いことです。