「まことに、しもべたちの目が主人の手に向けられ、仕える女の目が女主人の手に向けられるように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれんでくださるまで。」(123:2)
私たちの視点はどこに向けられているでしょうか。
詩人は、
「あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。」(1節)
と言います。
残念ながら、自分の都合のよいように動いてくれる神を自分の下に見下げても、人は神を見出すことはできません。
神は私たちのしもべではなく、私たちが神のしもべだからです。
私たちは、自分の人生の主人として、神を見上げる必要があります。
「しもべたち」、「仕える女」とあるように、キリスト者として成熟することは、キリストのしもべとして生きることを学ぶことでもあります。
キリストのしもべは祈ります。
「キリエ・エレイソン」(主よ、あわれんでください。)