「さあ、イスラエルは言え。彼らは私が若いころからひどく私を苦しめた。しかし彼らは私に勝てなかった。」(129:1,2)
イスラエルの国はその歴史の初めから諸国民から苦しめられてきました。
しかし、滅ぼされることはありませんでした。
詩人は、そのことを告白するように言います。
使徒パウロもこんなことを言っています。
「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」(2コリント4:8,9)
なぜなら、「主は正しくあられ、悪しき者の綱を断ち切られた」(4節)からです。
この詩で強調されていることは、神と私たちとの関係です。
神は私たちのためにいつもそこにおられます。
辛かったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、失望したこと、その所を祝福の場所として見るとき、痛みは詩の一行となります。