「私の祈りが、御前への香として、手を上げる祈りが、夕べのささげ物として、立ち上りますように。」(141:2)
「御前への香」、「夕べのささげ物」は、神殿祭儀が念頭に置かれています。
すなわち、祈りが神殿祭儀と等しい機能を果たすようにという詩です。
確かに、そもそも神が求めていたのは神殿祭儀ではありませんでした。
聖書は言います。
「まことに、私が供えても、あなたはいけにえを喜ばれず、全焼のささげ物を望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。打たれ、砕かれた心。神よ、あなたはそれを蔑まれません。」(51:16,17)
大事なことは、動物のいけにえを捧げることではなく、へりくだって、心から主を慕い求めて祈ることだと言います。
事実、黙示録にはこう記されています。
「香は聖徒たちの祈りであった。」(5:8)
私たちの祈りは香として神の御前へと立ちのぼっています。神は私たちの祈りを用いて御業を行われるお方です。