「そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。」(25:1)
このたとえに出てくる十人の娘は、十人の花嫁ではありません。
彼女たちは花嫁の友人で、花婿をエスコートする役目を担っていました。
ところが花婿が来るのが遅くなったので、「娘たちは皆眠くなり寝入ってしまった」(5節)のです。
ここからカルト宗教は「既存の教会は眠っている愚かな娘たちで、自分たちは目を覚ましている賢い娘たちだ」と主張します。
しかし、寝入ったのは賢い娘たちも同じです。
ですからこのような解釈は的外れです。
油を準備するために店に行かなければならないというたとえでもありません。
賢い娘は誰か、愚かな娘は誰かと比較するためでもありません。
イエス様はそのようなエリート意識を批判されています。大事なポイントは
「目を覚ましていなさい。」(13節)。
いつその時がきても準備ができている、イエス様に信頼して日々を生きることです。