「イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか。」(12:24)
「思い違い」と訳された言葉は、「だまされる」とか、「迷わされる」「惑わされる」という意味があります。
つまり、「聖書」と「神の力」を知らないと、私たちは惑わされてしまうと言うのです。
ある牧師は、解決をイエスに求めて、一生がかりで食いついていく読み方が鍵だと言います。
必死で聖書を読むならば体験するものだと。
しかし、「聖書学」という学問の世界にいる人たちが必ずしも「私の神」という体験をしているわけではありません。
どうしてでしょうか。
今日の箇所のイエス様の発言から考えるならば、人は聖書を読むだけでなく、神の力を認める必要があるからだと思います。
聖書の神は偉大な神、無力な神ではありません。
人にはできないことも、神にできないことはありません。
私たちを見出し、いのちを与える神です。