「幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に現れる日まで荒野にいた。」(1:80)
イエス様に関しては、
「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。」(2:52)
とあるように、家族の存在を感じますが、バプテスマのヨハネは
「荒野にいた」
とあるように、家族の存在が感じられません。
この一節に、高齢だったザカリヤとエリサベツが早くして亡くなり、荒野にあったクムラン教団に幼いヨハネが引き取られて育った可能性が示唆されます。
ある学者はクムラン教団のイザヤ書40:3
「荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。」
の解釈の影響をバプテスマのヨハネは受けたと言われます。
誰もがバプテスマのヨハネのような人生を歩むわけではありませんが、誰の人生の成長の過程にも神の指紋を見ることができます。
全ては神の配慮によって起こっています。