使徒 16章

「さて、祈り場に行く途中のことであった。」(16:16)

パウロたちが向かおうとしていた「祈り場」は、ルデヤが導かれた川岸の「祈り場」です。

しかし、パウロたちが実際に行った「祈り場」は「真夜中の牢獄」(25節)でした。

ライト教授は、

「イエスに従う者は、世界が苦しんでいる場所で祈りの民となるように召されています。」

と言います。

「世界が苦しんでいる場所」、まさに真夜中の牢獄の中で、パウロたちがそうであったように、祈りつつ、神を賛美する歌を歌う、これが、キリスト者のあるべき姿だと言うのです。

聖書が私たちに教えている真理の一つは、「祈り場」に奇跡が起こるということです。

川岸の「祈り場」でルデヤが信仰を持ったように、真夜中の「祈り場」で地震が起こり、看守とその家族が信仰を持ちました。

神は「祈り場」を用いて御業を行われます。

力は神のものですが、祈りの特権がキリストを信じる者たちに与えられています。

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