「もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」(25:11)
使徒パウロは最高法院を前に言いました。
「私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。」
前の総督フェリクスにも言いました。
「私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。」(24:16)。
ですから、総督フェストゥスを前にしてはっきり言うことができました。
「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、カエサルに対しても、何の罪も犯してはいません」(8節)
どんなに正しく生きていても、パウロのように翻弄されることがあります。
しかし、その背後にはローマで福音を伝えるという神の深いご計画がありました。