「実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。」(5:6)
LBでは6節をこのように訳しています。
「私たちが逃れる道もなく、行き詰まっていた時、キリストはおいでになり、何のとりえもない、私たち罪人のために死んでくださいました。」
私たちが何か優れているから代わりに死んだという話ではありません。
どうすることもできなくなった私たちのために、神が主導権をもって、御子イエス・キリストを遣わし、私たちのために死んでくださったということです。
「イエス・キリストが私たちのために十字架で死んでくださった」
というこの大前提から、3つのポイントをパウロはここで指摘します。
一つ目は、神は私たちを愛しておられること。
二つ目は、キリストを信じる者を神の契約の家族の一員とされたこと。
三つ目は、キリストを信じる者は新しい身分を受けて神のものとされたということです。