「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(3:19)
自分が経験したこと以上のことを知ることは難しいことです。
ですから、パウロはキリストの愛を体験することができるようにと祈りました。
人はただ祈りを通して、神の臨在の豊かさを体験することができるからです。
キリストの愛、十字架の御業が祝福の扉を開ける鍵です。
人の知識をはるかに超えたということは、人は知り尽くすことはできないということです。
キリストの愛は生涯をかけて知り続けていくことということです。
私たちは皆、その途上であり、教会は互いに忍耐をもって、祈り合い、励まし合い、愛することを学んでいく場所です。
そのようにして、人知をはるかに超えたキリストの愛を互いに理解していきます。