ピリピ 1:12-21

「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」(1:20)

「私の身によってキリストがあがめられる」は、直訳するならば「私のからだの中でキリストが大きくなる」です。

つまり、使徒パウロの祈りは、何が起こっても、自分の中でキリストが大きくなることだったということです。

これは、バプテスマのヨハネを思い出させます。

「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3:30)

この文脈でパウロは言います。

「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」(21節)

この言葉に対する注釈はガラテヤ2:20です。

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」

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