「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」(1:20)
「私の身によってキリストがあがめられる」は、直訳するならば「私のからだの中でキリストが大きくなる」です。
つまり、使徒パウロの祈りは、何が起こっても、自分の中でキリストが大きくなることだったということです。
これは、バプテスマのヨハネを思い出させます。
「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3:30)
この文脈でパウロは言います。
「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」(21節)
この言葉に対する注釈はガラテヤ2:20です。
「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」