「最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります。」(3:1)
「最後に」とありますが、使徒パウロがどうしても書く必要があると感じたことが並べられています。
「悪い働き人たちに気をつけなさい。」(2節)
とありますが、教会は最初から、悪い指導者の問題がありました。
悪い指導者は、キリスト以外の何かに依存させようとします。
どのように注意すればよいか、その究極的な姿勢は、主にあって喜ぶことだと言います。
いつも主にあって喜んでいたら、安全だと言うのです。
生きている中で、喜べないこともたくさんあると思います。
状況に左右されているならば、喜ぶことはできません。
しかし、「主にあって」、いつも主の臨在を意識するならば、万事を益として下さる主が共におられることを意識するならば、喜ぶことができます。