「彼が着いたとき、エリはちょうど、道のそばの椅子に座って見張っていた。神の箱のことを気遣っていたからであった。この男が町に入って来て報告すると、町中こぞって泣き叫んだ。」(4:13)
「神の箱」を戦場に持っていく行為自体が、神を利用しようとしたことの現れでした。
「神の箱」は利用するためではなく、神の臨在を覚え、礼拝を捧げるためにありました。
祭司は神を利用しようとする人たちから「神の箱」を守るべきでした。
しかし、祭司エリが反対したという記述はありません。
心配だったとはありますが、神でさえ利用しようとする自己中心的な民の姿勢に警告すらしていないようです。
神は礼拝の対象であり、私たちが利用できるジーニーではありません。
私たちが神に仕えるのであって、逆ではありません。
神を神としていないならば、その報いを受けることとなります。
悔い改め、主に立ち返り、神を神としてあがめましょう。