「箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」(7:2)
サムエルは、神の声を聴いたとはいえ、突然、祭司エリが亡くなり、若くしてイスラエルの指導的立場になりました。
それから二〇年、サムエルはただ一生懸命、自分の役割を果たそうと必死だったのではと思います。
沢村五郎先生は、サムエルが表舞台に登場するまで二〇年間かかった理由を、こう解説しています。
「それは民に主を慕う何の渇望もなかったからである。いかに偉大な預言者があっても、渇望のない民に対しては、手の施しようがないのである。」
サムエルは、「イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」という状況まで、待つ必要があったと言うのです。
「神様がしてくださらなければ、どうすることもできない」という程の渇望をイスラエルの民がもつまで、待つ必要があったと言うのです。
「神への渇望」を持っているでしょうか。