「サムエルは言った。「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(15:22)
歴史的にこの十五章の重要性は、ヤハウェなる神と預言者サムエルが、どうしてサウル王を拒絶されたかが説明しているところにあります。
神学的には22節以下の「神に従うこと」と「神に捧げること」の価値を相対化させているところが重要です。
神の御言葉を自分勝手に解釈し、その真意を無視し、罪を犯したままでも神は見逃してくれるとは聖書は言いません。
神殿に行っていけにえを捧げたら罪は赦されるとは聖書は言いません。
聖書は、
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」(1ヨハネ1:9)
人は自分の罪を認め、悔い改める必要があります。